友ヶ島

5月3日、約10年ぶりくらいに和歌山県の友ヶ島に日帰りで行ってきました。

いろいろと歴史のある島ですが、南海電鉄グループにより観光開発され、いっときはキャンプ場、海水浴場として夏場は賑わっていたが、2000年ごろには衰退し、南海電鉄が2003年に観光事業から撤退。一時は観光船(南紀観光)廃止も噂されたが、(有)友ヶ島汽船が航路を引き継いだがこれも2006年12月に廃業。その後、加太漁業協同組合が人員や船などを引き継いだ法人を設立し、「友ヶ島汽船(株)」として現在は運行しています。

昔に比べて船も小さくなってるし、島の真上は関空の航路になって24時間飛行機が飛び交ってるし、ずいぶん変わりましたが、旧日本軍の要塞跡であり、豊かな自然が残っている瀬戸内海国立公園内であることは変わらず、魅力いっぱいの無人島であることはそのままで、私の旺盛な好奇心をくすぐってくれる島のままでした。^^

この島の魅力は、豊かな自然(鹿やタイワンリス、キジが自生する)、釣り場としても最高。
淡水池があり、その周りの湿地帯には珍しい動植物も観察できる。
旧日本軍の要塞としての史跡(砲台跡や聴音所跡などの施設跡)があり、とても興味深い。
何よりも無人島というステイタスにロマンを感じる。

友ヶ島群島空中写真

友ヶ島は、沖ノ島、神島、虎島、地ノ島の4島からなる群島の名称で、一般的には沖ノ島を友ヶ島と呼ぶ

友ヶ島とは
今から1300年以上前に友ヶ島の虎島に行場が開かれ、以来修験の地だそうです。
虎島の岩壁に藩の蘭学者、李 梅渓による「五所の額」という修験道における5つの「行場」を書いた文字が彫られており、現在もその跡が残っています。

明治以降、外国艦隊からの大阪湾防衛のため、旧日本軍により沖ノ島及び虎島に砲台とその付属施設が設置されました。
この近辺は、和歌山県西部、淡路島南東部と連携し、当時の要塞地帯法で要塞の一つ「由良要塞」として制定され、その要塞地帯法により第二次世界大戦終戦まで一般人の立入は禁止となり、地図上にも記載されていなかったそうです。

第二次世界大戦の頃のような近代戦では航空戦主体となり、対艦船用の海上及び沿岸砲台は実用に適さず、この友ヶ島の砲台も明治期に建設された全国の多くの砲台と同様に大正期に廃止されたり、まったく使用され無いままに終戦を迎えたようです。

第3砲台跡

第3砲台跡

その後第3砲台が2003年に土木学会選奨土木遺産に選ばれ、映画やテレビなどのロケ地として使用されたりすることもあり、島内もここ1、2年で急速に整備されることとなって、またまた注目を浴びてきつつあります。

最近では島の様相が、スタジオジブリの『天空の城ラピュタ』の背景とダブるのか、コスプレの聖地としても有名になりつつあるようです。(これに関しては複雑な気分ですが…)

 

友ヶ島へのアクセスは、
南海電鉄加太線終点『加太駅』より徒歩15分で『加太港』へ
『加太港』からは友ヶ島汽船で沖ノ島野奈浦桟橋まで20分です。
詳しくは、友ヶ島汽船HPまで

加太観光協会マップ

友ヶ島観光マップ

ちなみに観光地として出入りできるのは『沖ノ島』と地つながり(満潮時には陸路は沈む)の『虎島』のみで、『神島』と『地ノ島』には上陸できません。

神島は、淡嶋神社の起源と伝えられており、自然公園法国立公園第1種特別地域に指定されているので、原則として上陸することができないようです。

『地ノ島』は現在国有地となっており、これも立ち入ることは出来ません。
でも、ほんとうはこの島が一番気になるところです。入ったらあかんと言われると、余計に入りたくなるのが人情。それでなくとも秘密に埋もれた旧帝国海軍の軍用地、いまも国有地としていったい何をしているのか? 不法侵入してみたい。^^;

で、島内には池尻キャンプ場(蛇ヶ池の南)と垂水キャンプ場(南垂水広場)があったのですが今はもう営業していないようです。特にキャンプ不可という場所以外は届け出さえすればOKのようで、その点は昔に比べて融通(無料)が利くようになったみたい。

昔はテント一張り共通の金額だったので、ファミリーテントも一人用ゴアライトも同額という理不尽なシステムだったのです。(-_-;

 

旧海軍聴音所跡

旧帝国海軍聴音所跡

今回、友ヶ島を訪れるのは本当に久しぶりですが、一応島内をくまなく歩いてみました。虎島へは近くまでは行きましたが今回は省いて、沖ノ島のみ。いままで再三、島内は歩きましたが今回初めて行ったのが、『旧海軍聴音所跡』という史跡でした。

この聴音所という施設が発見されたのは意外にも2002年という比較的最近のことのようです。どうりで知らなかったはず。^^;
理由としては、軍事的なことは常に機密であり、終戦後も一般情報として公開されていなかったことと、この施設に従事していた部隊が終戦前に別方面に異動したので、事情に詳しい人が残っていなかった等があげられるようです。
実際問題として、観光地として開放されている島で誰の目にも触れなかったとは考えられないので、単に何の施設か分からないままに放置されてきたということでしょう。残念なことです。

この施設は海軍の紀伊防備隊に所属する友ヶ島防備衛所といい、聴音所は別名ということだが、聴音所のほうが一般名称として理解しやすいため、こちらが多く使われているらしい。

この施設では、捕音機(集音器、マイクロフォン)を水深100mぐらいの海底に設置して、そこからケーブルを聴音室まで引き、聴音室では訓練を受けた聴音員がレシーバーでその音の質で敵艦や潜水艦のスクリュー音などを察知し、且つ複数の聴音員の聴く音の大きさを海図上で示して、その交点により位置と予測進路を把握する。

そして複数の捕音機を付けた機雷を1グループとし、聴音員の左右のレシーバー音量が一定になったとき、敵艦や潜水艦がそのグループの設置区域内に侵入したと判断し、機雷を作動させる。という神経を使う過酷な任務を4、50名の兵士が駐留(昭和18年頃の太平洋戦争時)して行っていたとのことです。

施設の壁面は岩場に見えるよう、そして上部には盛り土するなどのカモフラージュが施されているところに軍の施設であることを感じます。なんか島内を歩いているだけでドキドキと興奮してしまうのでした。

今回の移動にはGPSロガーを携帯して、その記録からマップ上に軌跡を記録してみました。一部ですが動画も撮ったのでマップ上に貼り付けてあります。マップを拡大してトラック再生すると島内の様子が分かりやすいと思います。

『2014年5月3日(土)友ヶ島』 の移動マップ  ← クリック

写真集は、こちら  ← クリック

いやぁ、ほんま何回行っても飽きひん島ですわ~ (笑)

 


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