地震大国の原発

昨日、22日午後10時8分ごろ、長野県北部を震源とする最大震度6弱の強い地震があったようです。被災された方たちへのお見舞い申し上げます。m(_)m

警察庁によると、白馬村で民家5棟が倒壊。2歳児を含む計21人が住んでいたが、全員が救助され、2人がけがをした。長野県内ではこのほか、倒れてきた仏壇やタンスで頭部を打ったり転んだりして、5人がけが。大町市の病院によると、子どもを含む約20人がけがをして搬送され、60~70代の3人が重傷。長野市消防局は、同市内で8人がけがをしたとしている。長野県によると、白馬村で住宅10棟が倒壊したという情報がある。(朝日新聞デジタルより引用)

さらに、東京電力によると、柏崎刈羽原発(新潟県柏崎市、刈羽村)では、2~4号機と6号機の使用済み燃料プールで水位の異常を知らせる警報が鳴ったそうですが、特に異常は認められていないそうです。

この東京電力のアナウンス自体どれほどの信憑性があるのか疑問は残りますが、仮に異常無しとしても、異常があったら終わりだったことを考えると、命綱無しの綱渡りに等しいわけです。

異常があれば、想定外と言い、異常がなければ絶対安全と言う。

経済発展が留まろうと、電力不足で不便な生活に陥ろうと、安全に生活できることが大前提ではないのか?

金を握り締めて、電気製品を担ぎながら綱渡りをするってのは正しいことなんやろか?

 

すべてがFになる

関テレ8チャンネル(フジテレビ系列)で今秋はじまったミステリーTVドラマ。

武井咲(これでエミと読めるのが分からん)が、主演というミーハーな理由だけで見はじめたが、これがなかなか面白い。原作は、森博嗣という推理作家の作品らしい。
『すべてがFになる』 というこのタイトルを特に意識はしてなかったが、どうも理系の研究室がドラマの背景になっているところから意味が気になりだして仕方ない。

F” から想像できるのは、10進数の”15” を、16進数で表した値。

それを2進数で表すと、”1111
情報処理の用語で言うと、”0″ は、”OFF” で、”1″ は、”ON”

『すべてがF』というのは、『オールON』 ということになる。
この、『ON』 がキーワードになるのか、それとも全てがONになるタイムリミットなのか?
2進数の一桁をビットと呼ぶので、Fは4ビットがONということになるが、一般的に8ビットを1バイトという単位で使うことが多い。また、2バイトをワードという単位にして使うこともある。

1バイトがオールONになると16進数で、”FF”
1ワードなら、”FFFF”

FFFF” を使い慣れた10進数で表すと、
16x16x16x16=65536 で、65536通りの組み合わせが出来るので、正の整数であれば
0~65535 の最大値、65535ということになる。

今後のドラマの展開がどうなるのか分からないが、この数字あたりがキーになるのではないか?などと楽しく想像しているところです。

『すべてがFになる』
このタイトルのセンスには、久しぶりに興奮してしまった。(笑)

 

穂高を望んで!

涸沢から穂高の眺望

涸沢から穂高の眺望

十数年ぶりに北アルプス登山の拠点、涸沢に行ってきました。涸沢カールにテント設営して奥穂ピストンの予定やったけど体力不足で達成できず。過去の実績をそのままトレース出来ないことを思い知りました。ま、おかげで今後は自分の力を過信せず、登山ではなく、中高年のトレッキングに徹することで仕切りなおしです。

今回の山行では色々と考えることもあり、新たな被写体との出会いもあり、書きたいことは山ほどあるが、次回山行のための資料としての覚書とする。

雪上キャンプを念頭に装備すると21キロになってしまった。重登山用のRaichle なら緩斜面の雪渓ならアイゼンは不要。準備OK!

雪上キャンプを念頭に装備すると21キロになってしまった。重登山用のRaichle なら緩斜面の雪渓ならアイゼンは不要。準備OK!

7月19日(土
23:00 阪急梅田バスターミナル出発

7月20日(日)
05:30     上高地バスターミナル着
06:10     山岳簡易保険加入手続き(500円)を済ませ歩き始める

朝靄にテンション上がります。

朝靄にテンション上がります。

07:00     明神到着

明神館前

明神館前

07:15     明神スタート 携帯圏外

08:00     徳沢到着

徳沢園 若女将がとてもべっぴんさんで、業界の噂通り!

徳沢園 若女将がとてもべっぴんさんで、業界の噂通り!

08・25    徳沢出発
09:25     横尾到着、携帯圏内に入る。

横尾到着

横尾到着

荷物多くてばてた。体力の限界。ここでテント泊することに予定変更。

キャンプ装備を舐めていた。重くて歩けない。一応、半泣きになりながらも横尾まで歩き、ここで幕営することにした。山荘でデイバックを見つけたので購入。3500円なり。明日はサブザック軽装で涸沢に向かう作戦。(ちなみに山荘で荷物を500円で預ってくれるらしいが、テントを張りっぱなしにして荷物は横尾に残留)
テント設営(700円)して昼前まで少し眠る。

横尾キャンプ場 マイテントは黄色のゴアライト

横尾キャンプ場 マイテントは黄色のゴアライト

12時から、本谷に向かって歩くが強い雨が降ってきたのでカッパを着ずに折り返す。片道1時間。ここまでは、ハイキングレベル。この先の本谷からが登山。明日、朝から涸沢に向かいます。

バスターミナルから横尾までの3時間は、水500㏄しか必要としなかった。8月の真夏でも1リッターあれば足りる。3リッターは無駄に重かった。(明神、徳沢で飲料水は補充可)

テントマット、パンクして使い物にならず。インフレータブルは信頼性が低いということを痛感した。頑張って涸沢で幕営しなくて良かった。
それと、ゴアライト、シームテープが剥がれだした。これはゴアテックスの欠点や!

18;50 山荘前ベンチ、日が暮れ始めたので間もなくテントに戻る。曇って星は見えず。
ちなみに少し肌寒いかな?長袖パーカー着用。ホーホケキョ、ウグイスが鳴いている。
着衣:モンベル夏用カーゴパンツ、半袖T、モンベルパーカーを羽織る。
シュラフは3シーズン用で問題なく、就寝時はシュラフのジッパーも開けっ放し。

7月21日
05:00     起床。
3時頃寒くて目覚めるが、それまで開けていたシュラフのジップを閉めるだけで対応。シュラフカバーは不要(枕として使用)
06:00     涸沢へ向かって出発。(サブザックでカッパ、傘、アイゼン、ダウンジャケット、タオル、軍手、ウエストバックにカメラ)
07:00     横尾本谷到着。大休憩せずに涸沢へ向かう。

横尾本谷橋

横尾本谷橋

07:07     快晴になってきて暑い!パーカーを脱いで半袖になる。
09:00     雪渓を歩くため軽アイゼンを装着。ほとんどの人たちはアイゼンを装着せずに行くようだが、俺は体力を無駄に使いたくないので装着。ラチェット式にして正解。脱着が簡単で良い!(途中一箇所雪がなくなるので脱着が必要)

今年は残雪が多い!Raichleなら蹴り込めばアイゼンは不要やけど、楽を選ぶ

今年は残雪が多い!Raichleなら蹴り込めばアイゼンは不要やけど、楽を選ぶ

ほんまに多いぞ今夏の残雪

ほんまに多いぞ今夏の残雪

ヒュッテまでもうそこやのに、遠い!

ヒュッテまでもうそこやのに、遠い!

09:30     涸沢ヒュッテ到着。カップヌードル400円。ザイテンに向かうつもりだったが、雪が多くてずっとアイゼン使用になるので体力を考えて今回は見送ることとした。

なんか昔とは違うなぁ。

涸沢ヒュッテ、なんか昔とは違うなぁ。

10:15     下山
10:50     アイゼン不要になり外す。
ここで登ってきた一人の男性にアイゼンのことを尋ねられたので、あったほうが疲れにくいとアドバイスする。
後に、カッパ橋付近でこの男性から声をかけられる。(山梨からマイカーで来られたそうだ。住所聞いて文通すればよかった。)
11:50     横尾本谷到着。10分休憩
12:00     横尾本谷出発
いつ刺されたのか、左手親指と人差し指のまたの部分が異常に脹れてきている。痛みやかゆみはほとんど無く、刺された跡も見あたらないが、たぶんブヨにやられたものと思われる。帰りのバスくらいから痒みが出始め、22日夜がピーク。23日には脹れかゆみ共に引きはじめる。
13:00     横尾キャンプ場到着

アルファー米ドライカレー、なかなか美味でした。冬山でない限り寒冷地用ブタンは必要ないね。100均のカセットで火力十分!

アルファー米ドライカレー、なかなか美味でした。冬山でない限り寒冷地用ブタンは必要ないね。100均のカセットで火力十分!

食事(アルファー米ドライカレー美味しかった。)を済ませ、テントを撤収しはじめる。
14:50     テント撤収完了。徳沢へ移動開始
15:45     徳沢園到着、テント泊の申込を済ませる。涸沢で聞いた、3代目若女将だろうと思われる可愛い子に受付してもらった。どこかのミス何とからしい。

徳沢キャンプ場

徳沢キャンプ場

16:40     テント設営完了。アルファー米牛飯を食う。これはあまり美味しくない。ドライカレーがベター!
おもしろい鳥の鳴き声を聞いたのでしばらくテントの外で周りを見渡すが鳥の観察は出来なかった。
空は晴れていたが、星空を見ずにテントで休む。虫が多いのとサンダルを持ってこなかったのでテントへの出入りが億劫だ!
虫除けとサンダルは幕営には必需品だ!

7月22日
05:00  起床

徳沢キャンプ場の朝

徳沢キャンプ場の朝

06:20     テント撤収完了。
06:30     目的無くバスターミナル方面へ歩き始める。
07:35     徳本峠からの合流点に到着。まもなく明神です。写真を撮りながらのんびりと歩く。
07:45     明神館到着。
07:55     小休憩して歩き始める。
08:45     小梨平キャンプ場到着。木陰になってるので涼しくて気持ち良い。キャンプ地としてはここが一番適してると思う。外来で入浴も出来るらしい。

小梨平キャンプ場、じつは往路20日6時20分に撮った写真です。

小梨平キャンプ場、じつは往路20日6時20分に撮った写真です。

結局この日は、荷物を持ったままあまりうろつく気にもなれず、けっこうな時間を浪費してしまった。後で気付いたことだがバスターミナル近くで荷物の預かり所があった。そこに荷物を預けて、大正池方面でも散策すればよかった。もったいないことをした。次回はこれを教訓に有意義に過ごしたい。途中、ビジターセンターなどにも拠ってみた。温泉に入るというのも良かったかも? ちなみにバスターミナル付近のインフォメーションセンターには有料コインシャワーもあるようだ。

14:10       上高地バスターミナルより帰路につく

今回の山行で思ったこと。
※自分の体力の低下を思い知った。もちろん諦める必要はないと思うが、中高年であることを受け入れた上で、鍛え直す必要がある。
※インフレータブル仕様のマットはパンクするといざというときに使い物にならない。コンパクトに成るというメリットはあるが重いというデメリットもあり、今後は避けるべき。量は張るがウレタンがベスト。
※ゴアテックス製品に関しては風通しのよい保管に徹する事。
※充電用バッテリーを用意していたのでスマホの電源を確保できた。携帯電話としてはカッパ橋近辺と横尾山荘近辺以外は圏外で使用できなかったが、音声を録音することで細かい記録が出来た。本来メモ書きのところが録音や録画できる。時代ですな!

最後に

徳沢で見かけた見知らぬ人。ストックを使ってツェルトを上手く設営していた。

徳沢で見かけた見知らぬ人。ストックを使ってツェルトを上手く設営していた。

天候に不安さえなければ、ツェルト利用でも軽装備になっていいなぁ、などと感心してしまった。が、やっぱりゴアの方が安心できるかぁ~

ダブりますが、写真集はこちらです。

 

<2014/08/18 追記>
DSC_0320DSC_0321経年劣化により剥がれてしまったシームテープ。どうも、完全な修理は出来そうにない。それ以前にゴアテックス本体生地も劣化によりフィルム層が剥離してボコボコに浮き始めている。高価なテントだけに簡単に買い替え出来ないので、せめて縫い目だけでも漏水しないよう補修しました。アライテント(ARAI TENT) シームコート使用

山靴も泥を落としてからワックス掛け
20年来の相棒(Raichle)、まだまだ現役です。^^

 

 

 

ここまで見えてなかったとは・・・

IMG_1687

子供の頃からずっと近視やったんで、16歳の頃からコンタクトレンズを使ってきた。
しかし、40代半ば頃からか老眼がではじめ、小さな文字が少しずつ見にくく感じるようになってきていた。当時はまだたいしたこともなくコンタクトレンズで過ごせていたが、50歳代に突入した頃からか、老眼鏡のお世話にならないと辞書のルビなど細かな文字が見えなくなってきたので、徐々にコンタクトレンズを遠ざけて近視眼鏡のみにするようになってきていた。(小さな文字を見るときは眼鏡を外せばよかったから)

上の写真は山歩きの時に愛用している単眼鏡(望遠鏡)で、老眼の話とはなんら関係ありません。じつは背景になっているキーボードが問題なのです。長年使っていると手垢やほこりでキーボードは汚れてきます。年末に気が向けば大掃除をすることもありますが、多分しっかりした掃除はここ数年間したことがない。たまに、ウエットティッシュで表面をさらっと拭くくらいなもんでした。^^;

IMG_1687_Mosaic

まぁ、写真のピンも外れているし、解像度も低いのでアラは見えにくいが確かに汚れている。じっさい自分の目で見えているのもこのくらいの汚れ具合しか気付いていなかった。

しかし先日、カメラのテストをしていたときに、目の前にあるキーボードをマクロで撮ってみて驚いた!

IMG_1765_Mosaic

なんじゃ、こりゃぁ~
気持ち悪すぎて、一部分しかお見せできません。( ̄▼ ̄|||)

この汚れが日常的に見えてなかったのです。
さすがにこれに気付いたとき、眼鏡を外してど近眼の目玉を近づけてみると、自分の目玉でもはっきり見えました。Σ( ̄ロ ̄lll) ガビーン

薄汚れていることはもちろん分かってたけど、薄汚れと思っていただけで、じつはこんなに強烈に汚かったんやと気付き、自分の老眼のレベルを思い知りました。いつまでも若くはないとか口では言ってたけど、じつは老人の域に達していることを受け入れてなかったのは己自身でした。悲しい…

遠近両用眼鏡なんて年寄り臭いもん使えるかい!
なんて思ってたけど、即、作りに行きましたよ。眼鏡市場へ。(笑)

一応、アルコールと綿棒を使ってしこしこ掃除もやりましたとも。

IMG_1777

まぁ、これくらいなら病気にはならんかな?

 

 

 

友ヶ島

5月3日、約10年ぶりくらいに和歌山県の友ヶ島に日帰りで行ってきました。

いろいろと歴史のある島ですが、南海電鉄グループにより観光開発され、いっときはキャンプ場、海水浴場として夏場は賑わっていたが、2000年ごろには衰退し、南海電鉄が2003年に観光事業から撤退。一時は観光船(南紀観光)廃止も噂されたが、(有)友ヶ島汽船が航路を引き継いだがこれも2006年12月に廃業。その後、加太漁業協同組合が人員や船などを引き継いだ法人を設立し、「友ヶ島汽船(株)」として現在は運行しています。

昔に比べて船も小さくなってるし、島の真上は関空の航路になって24時間飛行機が飛び交ってるし、ずいぶん変わりましたが、旧日本軍の要塞跡であり、豊かな自然が残っている瀬戸内海国立公園内であることは変わらず、魅力いっぱいの無人島であることはそのままで、私の旺盛な好奇心をくすぐってくれる島のままでした。^^

この島の魅力は、豊かな自然(鹿やタイワンリス、キジが自生する)、釣り場としても最高。
淡水池があり、その周りの湿地帯には珍しい動植物も観察できる。
旧日本軍の要塞としての史跡(砲台跡や聴音所跡などの施設跡)があり、とても興味深い。
何よりも無人島というステイタスにロマンを感じる。

友ヶ島群島空中写真

友ヶ島は、沖ノ島、神島、虎島、地ノ島の4島からなる群島の名称で、一般的には沖ノ島を友ヶ島と呼ぶ

友ヶ島とは
今から1300年以上前に友ヶ島の虎島に行場が開かれ、以来修験の地だそうです。
虎島の岩壁に藩の蘭学者、李 梅渓による「五所の額」という修験道における5つの「行場」を書いた文字が彫られており、現在もその跡が残っています。

明治以降、外国艦隊からの大阪湾防衛のため、旧日本軍により沖ノ島及び虎島に砲台とその付属施設が設置されました。
この近辺は、和歌山県西部、淡路島南東部と連携し、当時の要塞地帯法で要塞の一つ「由良要塞」として制定され、その要塞地帯法により第二次世界大戦終戦まで一般人の立入は禁止となり、地図上にも記載されていなかったそうです。

第二次世界大戦の頃のような近代戦では航空戦主体となり、対艦船用の海上及び沿岸砲台は実用に適さず、この友ヶ島の砲台も明治期に建設された全国の多くの砲台と同様に大正期に廃止されたり、まったく使用され無いままに終戦を迎えたようです。

第3砲台跡

第3砲台跡

その後第3砲台が2003年に土木学会選奨土木遺産に選ばれ、映画やテレビなどのロケ地として使用されたりすることもあり、島内もここ1、2年で急速に整備されることとなって、またまた注目を浴びてきつつあります。

最近では島の様相が、スタジオジブリの『天空の城ラピュタ』の背景とダブるのか、コスプレの聖地としても有名になりつつあるようです。(これに関しては複雑な気分ですが…)

 

友ヶ島へのアクセスは、
南海電鉄加太線終点『加太駅』より徒歩15分で『加太港』へ
『加太港』からは友ヶ島汽船で沖ノ島野奈浦桟橋まで20分です。
詳しくは、友ヶ島汽船HPまで

加太観光協会マップ

友ヶ島観光マップ

ちなみに観光地として出入りできるのは『沖ノ島』と地つながり(満潮時には陸路は沈む)の『虎島』のみで、『神島』と『地ノ島』には上陸できません。

神島は、淡嶋神社の起源と伝えられており、自然公園法国立公園第1種特別地域に指定されているので、原則として上陸することができないようです。

『地ノ島』は現在国有地となっており、これも立ち入ることは出来ません。
でも、ほんとうはこの島が一番気になるところです。入ったらあかんと言われると、余計に入りたくなるのが人情。それでなくとも秘密に埋もれた旧帝国海軍の軍用地、いまも国有地としていったい何をしているのか? 不法侵入してみたい。^^;

で、島内には池尻キャンプ場(蛇ヶ池の南)と垂水キャンプ場(南垂水広場)があったのですが今はもう営業していないようです。特にキャンプ不可という場所以外は届け出さえすればOKのようで、その点は昔に比べて融通(無料)が利くようになったみたい。

昔はテント一張り共通の金額だったので、ファミリーテントも一人用ゴアライトも同額という理不尽なシステムだったのです。(-_-;

 

旧海軍聴音所跡

旧帝国海軍聴音所跡

今回、友ヶ島を訪れるのは本当に久しぶりですが、一応島内をくまなく歩いてみました。虎島へは近くまでは行きましたが今回は省いて、沖ノ島のみ。いままで再三、島内は歩きましたが今回初めて行ったのが、『旧海軍聴音所跡』という史跡でした。

この聴音所という施設が発見されたのは意外にも2002年という比較的最近のことのようです。どうりで知らなかったはず。^^;
理由としては、軍事的なことは常に機密であり、終戦後も一般情報として公開されていなかったことと、この施設に従事していた部隊が終戦前に別方面に異動したので、事情に詳しい人が残っていなかった等があげられるようです。
実際問題として、観光地として開放されている島で誰の目にも触れなかったとは考えられないので、単に何の施設か分からないままに放置されてきたということでしょう。残念なことです。

この施設は海軍の紀伊防備隊に所属する友ヶ島防備衛所といい、聴音所は別名ということだが、聴音所のほうが一般名称として理解しやすいため、こちらが多く使われているらしい。

この施設では、捕音機(集音器、マイクロフォン)を水深100mぐらいの海底に設置して、そこからケーブルを聴音室まで引き、聴音室では訓練を受けた聴音員がレシーバーでその音の質で敵艦や潜水艦のスクリュー音などを察知し、且つ複数の聴音員の聴く音の大きさを海図上で示して、その交点により位置と予測進路を把握する。

そして複数の捕音機を付けた機雷を1グループとし、聴音員の左右のレシーバー音量が一定になったとき、敵艦や潜水艦がそのグループの設置区域内に侵入したと判断し、機雷を作動させる。という神経を使う過酷な任務を4、50名の兵士が駐留(昭和18年頃の太平洋戦争時)して行っていたとのことです。

施設の壁面は岩場に見えるよう、そして上部には盛り土するなどのカモフラージュが施されているところに軍の施設であることを感じます。なんか島内を歩いているだけでドキドキと興奮してしまうのでした。

今回の移動にはGPSロガーを携帯して、その記録からマップ上に軌跡を記録してみました。一部ですが動画も撮ったのでマップ上に貼り付けてあります。マップを拡大してトラック再生すると島内の様子が分かりやすいと思います。

『2014年5月3日(土)友ヶ島』 の移動マップ  ← クリック

写真集は、こちら  ← クリック

いやぁ、ほんま何回行っても飽きひん島ですわ~ (笑)